Design Diary
+ + + + + + + 放浪のムメイHの雑言 + + + + + + +
 
 
10/05/2003
Tさんという信愛する方のホームページを、前進・停滞(笑)しながら作っているわけですが、今日の電話でのお話しで、ホームページをづくりを願う方達に聞いてもらいたい話題が。

・・・ホームページはスーツや和服をカチッと着こなしすぎるような、格式ばったものではつまらないものの、しかしネクタイを緩め威勢良く野次を飛ばし示唆に富んだサラリーマンの「表現型」すぎるのもつまらないかもしれません。
道を歩き、時に走り、できるだけ走っていることが情熱である事は間違いないですが、それでは子供のただのやんちゃにはかないませんし、お爺さんは疲れてしまうというのが歩行の原則(笑)です。その人にあった歩みを日常では知っているはずですから、ホームページ上でもその歩みで運営してみましょう。ホームページは既成概念(情念)の「前のめり型」のイメージがありますから、そのイメージに負けじと、フルスピードなホームページが自分にとっても最善だと、誰でも思い込んでしまいます。あなたはほんとうにフルスピード型ですか?フルスピードな人ほど、走っているときは遠くが見え、歩いているときは足元の道筋が見え、止まっているときはありんこを見る事が出来るはずなのだと思います。そして・・!、眠り込んでいるときは夢を見る、と。そして、眠ってもいないときは、幸か不幸か(?)僕はデザインしているときです。・・フーー・・とここだけのため息を(謎)。
さて、これはホームページの話題です。そういうことですので、ホームページというあなたの「窓」は、あなたが覗き込む空であって構いませんし、それが見る人を落ち着かせ、更なるアイデアの、あなたにとって模範となる出発点となります。ホームページをデザイナー任せにするのも構いません。「一般的に」ひとに優しい、見やすいホームページにはなることでしょう。しかしそんな優しさは、あなたには苦痛になってくるかもしれません。ティータイムの時間の長さがホームページにイメージされている事が最重要課題だと思います。
しかしそれより、そんなうんちくを垂らす余地のない徹底した「その人らしさ」が、ばーん、と見るひとの脳天をうつことになりますが、 そんな「予想通り」の快感か不快かを、ありんこのきもちになって選択したらどうでしょう。ありんこはティータイムの事です。そして、気持ちの良い自分のホームページをみてから、気持ちよく寝ましょう。
あえてそんな事を言うのは、デザイナーが製作したホームページに喜んでもらいたい、という現われでもあります。ホームページとは、つくる人と運営する人のティータイムが共存してこそ素晴らしい完成といえます。一方的な所与は無く、完全な「場」を提供するものではありません。(デザインとは「現状納品」でありますし、)だからこそホームページ作りを願う人は、完成が「完全」でないことを知っていただき、あえてその部分にティータイムのイメージを上乗せする事で、本来の「満足」を、見る人におすそ分けできる状態になります。
完全を夢見る人間が生み出した「実践的な」世界、ホームページは、あなたの「実践的」を実現するために使ってください。それが、「実用的」でありたいデザイナーの願いです。
そして、ティータイムの時間のイメージでホームページを運営してください。ホームページは車のようには動きません。そこに在るだけです。無理な力を加えても画面が壊れるだけです。お気をつけください。 ・・もともとホームページは車や身体のように動き実践的なものではありません。どんなホームページでもそうです。どんなホームページでも使い方は一つ、「止まって」、「発見すること」。そこに(ホームページに)「持ち帰ること」。
ありんこの見方を覚えていると、動かないホームページが心を痛めつけ停滞させるものなのではなく、夢にあふれてきます。ホームページはティータイムの時間です。走ったり歩いたりする時間でもありません。外で十分に運動してきてから、思い出話を持ち帰ってください。それがホームページを楽しくさせスピード感を高める主体です。
こころは二車線、いや歩道と車道、いや・・・。


10/03/2003

デザインルームホームページがリニューアルオープンしました。
今後ともよろしくお願いします。

さて・・。今回のリニューアルホームページ製作中の雑言です。

デザイナーの人で、デザインに飽き飽きしている人は結構います。具体的には、いざデザインをするときは画面ばかりを見つめることになり、精神的な不健康がしばしば生まれます。
デザインをする人は夢を持っている人が多いと思いますし、感じる事、考える事に対して繊細な人が多いのではないでしょうか。いくら覆い隠せども、サッカー選手のように汗をかき、身体全体でデザインをする事が出来ない分、時間の浪費感は否めないものです。
人は何も意味が無いような事にも没頭できます。大人になると忘れてくるでしょうが、子供のころ庭先の動物をひたむきに眺めたり、犬と遊んだり、美味しいお菓子を何時間もかけて食べる事など、無意味なこととも思われますが、それほどわくわくしたり、未知と対面しているような感覚はないことは確かな事だと思います。デザインも、その行為経過は無意味なものです。そこにはなにも「ない」ものに向かって指先を延々と動かし続けるのです。だからデザインはそういった、ひとの素質をうまく使った仕事かもしれません。
しかし、いかに自分の実の手のようにパソコンを駆使し、思い通りのレイアウトを構築できたとしても、その手のひらの感触は絶えず未知な形を作り出す粘土細工にはかないません。
そして、ひとは運動する動物です。なにかの運動が強く大きいほど喜びを感じるのです。
そして運動を一番感じる事が出来るのは自身の身体そのものに違いありません。
しかしデザインの中では、いつでも風景は写真から始まり、その道を歩いた記憶は身体には無く、散歩をした晴れ晴れしさは、気持ちの尽きたとき、画面のなかの混沌とした仮想の世界、何もない世界に、抗えないまま吸い込まれていくようです。
日常でピンときたもの、豊かさを、間接的にその仮想の世界、デザインに結びつける事が出来る仕事かもしれませんが、真っ白な画面に立ち向かうとき、白からあらゆるイメージをつなぎ合わせようとするとき、イメージどおりの晴れ晴れさを達成するには、用意したものはあまりにも脆弱な感情であることを発見するのです。そんな中で、デザインとは、「どこで終わりにするか」という潔さとリズムの使いようですが・・・。難しいですね。

熱心なようですが、でも僕はそれほど熱心な「デザイナー」でもありません・・?・・


格闘してみましょう。どうしたら散歩上がりのようなデザインをする事が出来るのか。
しかし無機のテクスチュア(模様)を重ね合わせてみたところで、その「形」が持つ記憶は、がむしゃらに叩いた小さな製作時間以上のことを決して話しません。デザインは無口です。
実の自然の岩肌を、知りえない、無知な机上の行為なのです----。

・・・岩肌。
そこ、にあった岩肌を、「硬い質感」と言い投げかけてみました。すると・・。
そこにある広い芝生を、「強烈なミドリ」と言い表してみました。すると・・・。
どちらもデザイン的用語です。無機なあの画面でやり取りされる言葉です。
しかしそこで出てきた言葉は、今までになく強烈なイメージで見えてきた「岩肌」や「緑色の芝生」でした。そう思うことが何故だか特権的な気がして、嬉しくなりました。
それ以上はいいません。
デザインにもいいところがあるものです。

そうして、かわり映えはしないけれどもホームページのリニューアルオープンとなりました。

今回写真を使わせていただいた写真家のAさま、ありがとうございました。そこでも新たなことがわかりました。大感謝してます。写真3枚使わせていただきました。この場を借りてこころからお礼申し上げます。またよろしくお願いします(^o^)

それでは、
そんな雑文も、時々ここにもこんなかたちで書くことにします。

 
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